カテゴリー「連載?コラム」の記事

2007/09/29

"GOD" is back!

 レッズのカーリングカップ4回戦はカーディフとの対戦が決まった。しかも格上のはずのレッズのホームでの対戦となる。

 そう、"GOD"ファウラーがアンフィールドに帰ってくる。ファウラーってやっぱり格好いい。かつて相手のファウルでPKをもらった時に、「これはファウルじゃない」と相手に変わって審判に抗議。結局認められず、自ら蹴ったPKをわざと外した逸話は有名だが、逆に言えば、そんなものをもらわなくても得点できる、、、、それだけの能力のある選手だった。昨年の春に久々に帰ってきて、約1年半在籍したが、スーパーサブとしてまずまずの動きだった。レッズにとってはオーウェンの前の得点源。懐かしいのである。

 それからもう一つ。マドリーの「メッシ」をレッズが獲得したそうだ。そうしてまた一人スペイン人(アルゼンチン?)が増え、リーガプールになっていく。

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2007/09/06

勝手に『footballista』—No.41〜その2〜

 続いて『footballista』No.41の後半分。
 次いで16ページは「戦術リストランテ」という連載。毎回秀逸な戦術論を解りやすく展開されているが今回はシティの守備について。いつも攻撃シーンが多いんだけど、守備戦術も面白い。強豪相手にどう守り抜くか?なんてのは断然面白い!

 それからキブの話が1ページ、リーグアンに1ページ、ブンデスリーガ、スコティッシュプレミアリーグ、エールディビジ、中南米ネタに各1/2ページが割かれ、各国リーグと日本人プレーヤーの結果表に1ページを割く。エールディビジはフェイエノールト躍進の姿が描かれているが、それよりも面白いのは脇にある囲みコラム。昨季の得点王ヘーレンフェーンのアウベスが行方不明になってたと記事だが、今や昨季の得点王が、チームの中での立場も何もあった状況ではないらしい。昨季の34得点というような輝かしい成績はとても残せないのでは?冬には移籍かな?

 そして25ページに「リーガの醍醐味」「サウダーデの国からボア・ノイテ」というふたつのコラム。「リーガ」の方はプエルタの記事。横井伸幸さんというバルセロナ在住の方のこのコラムではプエルタ死去の原因やその背景などを描き、セビージャの町と埋葬の日の話とが描かれる。「赤と白と緑は一つに混じり合った」。電車の中で読んでいて泣きそうになった!次は欧州・中南米のサッカーネタのページ。ここでもやはり「セビージャが一つになった日 プエルタの死がもたらした奇跡」という工藤拓さんの記事が目を惹いた。彼の死がセビージャとベティスの歴史的な「敵対関係を劇的に変えた」と。またプラティニ(現UEFA会長)がCL改革案を提出しているそうで、カップ戦の勝者にもCL出場のチャンスが巡ってくるかも知れない。CLの予選でカップウィナーズカップをやるようなものか?

 次は「サッカーの影を歩く」。移籍がテーマで話はふたつ。Case1はフェイエノールトからR.マドリーに移籍したドレンテの一件を詳報。Case2はページの約3分の1のスペースだが、こんなちっちゃな記事にしとくのがもったいないくらい重要な話題。「移籍ルールを揺るがす「パンドラの箱」」と題されたこのコラムは、ウディネーゼからセビージャに今季移籍したGKデ・サンクティスの話。保護期間が過ぎれば契約期間中であっても選手側が一方的に契約を解除できるという条項がFIFAの規定に存在するそうだ。今回のケース(デ・サンクティス)で初めてそれが適用されたそうだ。これってボスマン裁決以降最大の変化になるかも知れないほど重要だ。

 と、言う訳で今週の『footballista』を勝手にご紹介。

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勝手に『footballista』—No.41〜その1〜

 「勝手に『footballista』」勝手に連載スタート!まずは今週のNo.41の前半分を紹介する。メインタイトルは[Gol Silencioso:静かなゴール]、表紙の写真はゴールを決めたロナウジーニョを静かに抱擁するアンリ。アンリの左腕の袖には黒いテープが巻かれている。これはプエルタへの喪章だろうか?

 この雑誌を面白くしている最大の要因は表2対向(表紙裏の見開き横のページ=3ページ)にある。ここの木村浩嗣編集長の「『footballista』主義」というコラムは抜群に面白い。まったく意見が反対だったり、逆に賛同できたり、勘違いしてるじゃないの?と疑ったりとこのコラムを読むたびにこちらの心は揺り動かされる。今週は「サッカーライターは金持ちになれない」だが、これは笑った。確かにそうだ。文字数×円=ギャラの仕事をやっていたら金持ちになれない。そんな各ライターへの編集長としての言い訳が垣間見えている。各ライターの善意によって雑誌ができるってのは、サッカー雑誌だけじゃないと思うが、この木村編集長は、それをはっきり宣言してしまうんだから、すごいね。この人、基本的にいい人だと思う(笑)。もっともこれだけの雑誌を毎週作ってんだからかなりキツイ編集長だとは思うけど……。ところでもうひとつ、なぜ金にならないか?ボクは、サッカー雑誌が広告媒体になってないからってのも大きいファクターだと思う。『footballista』にはかなり大手の広告が入ってるけれど、ライターが持ってこれるようなレベルの広告ではない(例えば代理店的に動いて中間マージンを得るだとか)。そう考えるとやはり「サッカーライターは金持ちになれない」んだろう。

 さて記事の紹介。特集はユーロ2008の予選各組の話題、5ページに亙り予選各組を紹介している。オランダにはファンニステルローイが帰ってきた。次いでリーガ、セリエ、プレミアの話題を2ページずつ見開きで紹介。

 リーガのメインはR.マドリーとビジャレアル、ほぼ同じ分量あるのがバルサとアスレティックの試合。セリエは「不調」のインテルがマンチーニ、イブラヒモビッチのコラムを含めてほぼ見開きの3分の2を占める。

 プレミアはファーガソンとキーンの師弟対決がメインだが、見開き下段の半分位を割いて「「昇格組=降格候補」の現実」という面白いコラムがある。中でも焦げ茶っぽいベタに白抜き文字の「昇格組の苦悩の裏で……」という山中忍さんのコラムは面白い。2部リーグ(チャンピオンシップ)の二極化がテーマだが、そんな現実が有ったのかと感心させられた。これじゃ、永遠にタイガース(ハルシティ=イングランドで2番目に好きなチーム)はプレミアに昇格できない!以下、思ったよりも長くなったんで、つづく。

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2007/09/05

勝手に『footballista』—No.00

 今年の4月以来、ボクは隔週刊の『ワールドサッカーダイジェスト』(WSD)と、週刊の『footballista』を並行して買ってきた(夏場は一時隔週刊だったが)。『footballista』を買うきっかけになったのはちょうど4月頃に出ていた号の表紙がスティーブン・ジェラードMBEの雄姿だったから(笑)。リバプールファンのボクとしてはさすがに買わずにいられなかった。それ以前はずっとWSDしか買ってなかったんだけど……。初めて手にした『footballista』はすごく面白かった。何かが新鮮だったのだ。それでもWSDを並行して買ってきた。データの量でいくとWSDの方が多いから。でも毎年同じに感じてしまうようになっていた。選手の移籍だとか、インタビューだとか。

 『footballista』は違った。ジャーナリズムがある(と思う)。もちろんネタはいっしょだけど、味付けが違う、切り口が違う。ただ人の話を聞いてくるんじゃなくて、ちゃんと編集長の意見とか、編集部の意見とか、さらには個々のライターの意見というのがしっかりと前提にあった。そのフィルターを通して語りかけ「私はこう思った」とはっきり言ってくれる。約5ヶ月、両誌を比較しながら読んでいてそう思った。先週久々にWSDを買わなかった。すみませんWSD(笑)。

 以前にも書いたけれど自分の身につまされる話になるので、あまり雑誌の評論はしたくなかった。でも『footballista』は面白いんだからもっと紹介しよう!と思ったのだ。という訳で「勝手に『footballista』」の連載を始めることにした。

 ちなみにスタッフの方々のブログ、それから『footballista』公式サイト、真っ赤な画面で「ピーッ」って鳴るからレッドカードかと思ったよ(笑)。

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2007/09/01

鴨川シーワールド-1

 ちょっと前のことだが、家族旅行に行ってきた。

 良く考えてみると、私自身は週に1回くらいはプチも含めて出張があるので、旅行自体は珍しくないが、こと家族旅行となると、すご〜く、久しぶりのことのように思う。

 目的地が「親戚の家」以外だと8歳になる子どもが産まれてから、初めての家族旅行だったような……ひどい父親だ(笑)。元々結婚してから子どもが産まれるまでの数年間も新婚旅行を除くと、北海道旅行に行ったくらい。後はすべて「親戚の家」系の旅ばかり。という訳で「純粋?」な旅行は、北海道以来かな?

 目的地は「鴨川シーワールド」。3月に子どもが一度行っており、すごく感動したそうで、ぜひ、夏にもう一度行きたい、そういうことでずいぶんと早い時季から予約して旅行に行ってきた。たった1泊だったけれども、じつに心がゆったりできる旅だった。

 とは言え、身体はくたくた。なぜなら2日の間にうんざりするくらい予定が詰まっていたのだ……。

 早朝、って言っても会社に行くとのほとんど変わらない時間に家を出て9時過ぎ東京発の特急で安房鴨川に向かう。鴨川までは娘と隣同士の座席で景色を見てあ〜でもない、こ〜でもないとたわいのないことをしゃべる。幕張辺りまではマンションなどの住宅街が続くので屋根のカタチをいろいろなものに見立てて盛り上がる。娘とはふだんあまりゆっくり話す時間がないんだけれども、こういう時間はとても貴重だ。

 そしてお昼前には安房鴨川駅到着する。ホテルのお迎えのバスに乗る。10分ほどでバスは着くんだけど、クルマに弱い娘は特にバスが嫌い。ホテルに着く頃には顔色が悪い。が、表に出れば、すぐに元気に。ロビーでチェックインの準備をしている間にさっさと海を見にいっている。チェックインは午後3時からなので、取り合えず荷物を預けて、早速シーワールドに向かうことにした。

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2006/05/12

フットサルチームを作ろう(4)

ええっと。このネタ。
前の更新が2月24日だから2ヶ月半ぶりの更新である。
その間、何をしていたか?な〜んにもしてません!
今日は何の報告か?またまたアイドルのフットサル大会を見てきました。
今度は駒沢ではなく代々木。

カレッツァさんのご招待だったので、センターのなかなか良い席。しかし周囲にはアイドルオタクとおぼしき皆さまが……。およそみんなフットサルには興味なさそうだ(笑)。

この日はひとつ大きな失敗した。それは着ていた服。オランダ代表のオレンジのTシャツを着ていってしまった。カレッツァの宿敵、ガッタス(ハロプロのチーム)のチームカラーはオレンジ。だから会場はまるでオランダファンの集まりかのようにオレンジに染まっている。こ、これではまるでボクはガッタスファンじゃないか……この人たちと同じは嫌だ(笑)。

結果はTeam DREAMの優勝。カレッツァはまさかの1回戦敗退だったが、下部グループとの入れ換え戦には勝った。1試合目、敗けた試合はとにかくチグハグで酷かった。中心選手の小島くるみは明らかにボールを持ちすぎ、周りが見えてなかった。先日いっしょにお仕事をさせていただいた長身の井本操も今一つ切れが悪い。しかし2試合目、入れ換え戦では、井本のパスが相当に小島へと通っていた。全然、動きも切れも違っていた。それにしても小島くるみのドリブルは結構上手だったのが印象的。スピードは無いが確実にキープする。ボールの上をまたぐようなフェイントを小刻みに加えてのドリブルだから、なおのことスピードアップしたら面白いと思うけど。

前回も書いたけれどやはりDREAMの宇津木めぐみは別次元の選手だ。ボクは1試合しか見なかったが、サッカーを観る感覚で面白いと思えるのは、正直彼女のプレイだけだ。ボクが見た試合は2-0で勝ったが、1得点目はトップの選手が完全にフリーになる縦へのスルーパスを決めた。混戦の中で周りが見えている。2得点目は自ら少し後ろから弾丸シュート。1ゴール1アシストだ。でも確実に宇津木以外の周りの選手もレベルアップしている。だから優勝するんだろうけれど。

入れ換え戦が終わったところで代々木を後にした。体育館を出てまず電話をかけた。

「フットサル、いつやりましょうか?」

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2006/04/25

サーズアタック(新・鹿島日記-5)

2003年3月中旬

 この頃から雑誌の連載企画で、グラビア系の女性タレントにウェイクボードにチャレンジしてもらう、という企画を進めていた。その子は相当に運動神経のよい子だった。3月中旬頃から確か始めたのだけれど、一発で立ち上がり、しかも2、3回目でサーフェイスだがグーフィーでも滑れるようになっていた。はっきり言ってボクよりも遙かに上手い。仕事ではなく、趣味でコンスタントに続けられれば良かったのに……私としては趣味と実益を兼ねる有意義な日々であった(笑)。

2003年4月〜

 2003年の年明けから春頃と言えば、世界中をサーズ(SARS=重症急性呼吸器症候群)が席捲していた。特にアジア圏への渡航は絶対に控えるべきだ、などとかなりのパニック状態である。そんな中、堂々と私と相棒のRは東南アジアを歴訪していた。理由は簡単だ、取材である、仕事である。行かなければならないのだから腹を括って行くしかない。

 確かこの時、訪れたのはシンガポール、マレーシア、インドネシア、タイの4カ国。成田を離れ一路南下する。最初に降り立ったシンガポールのチャンギ国際空港で、出迎えてくれたのは体温表示モニター。武器を所持していたら一発で分かってしまうようなモニターだ。映っている自分が見えるからなんだか面白い。オカシナ相棒のRはモニターの前でポーズを決め、検査官を苦笑させていた。

 シンガポールではウェイクボードをやるチャンスがあったのだが、残念ながらスケジュールの急な変更のためにできなかった。シンガポール〜マレーシアは橋を渡るだけなので、SARS絡みではノーチェック。その後、インドネシア入国時は耳にいきなり体温計を突っ込まれた。タイでは看護婦に囲まれ(ちょっと嬉しい)……分からない言葉で問診された。これ、いずれも入国時、空港での話だ。ところが、日本に帰国し成田の入国の際には黄色い紙だけ。おーいこれで良いのか?日本の検疫、と当時は思った。どうやら業界では私の渡航をこう呼んでいたらしい、サーズアタックと。

 帰国したはよいが、家内はSARS感染が怖いといって「家に帰ってくるな」とのたまう。仕方がないので銀座のホテルに泊まり、鹿島のホテルに泊まり、おかげでこの年のゴールデンウィーク前半はウェイクボード三昧であった(笑)。こういうのを怪我の功名という?

 この頃から本格的に、改めて2ウェイキエアにチャレンジし始めた。シーズンは始まったばかり、今シーズン中に2ウェイキを成功させるぞと、ひとり鼻息を荒くした。
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2006/04/12

重大な出会い、というか再会(新・鹿島日記-4)

2003年2月14日のつづき

ボク「あの〜、すみません」
男性「……はい」
ボク「すみません、Tさんですよね?」
男性「ええっと、そ、そうだけど……」

 タイガの取材をした2003年初滑りのその日、ボクにとっては重大な出会い、というか再会があった。

 前回書いたように氷水のような川に入ったおかげで、すっかり冷えきってしまった身体を暖めようとマリーナをうろうろしていた。するとPWC(水上バイク)の分解風景を撮影している男性がいた。分解作業をしている作業着姿の人(ウッチーさん=日本の水上バイクの第一人者です)は以前から知っている人だったから、ふつうに「こんにちは」とご挨拶。でもその時、撮影しているカメラマンの男性が気になって仕方がなかった。その人、確かに、どこかで、見たことがあるのだ。

 こちらの取材が終了して戻ってきた時にハッと脳裏にかすめるものが……。あっ"Tさん"だ、たぶん……。確か風の噂でカメラマンになったって話を聞いたことがある。さっそくウッチーさんにあのカメラマンは"Tさん"って名前ですよね?と念を押す。やっぱり。……で、冒頭の会話だ。

 じつは彼"Tさん"はボクの高校時代のサッカー部のふたつ上の先輩なのである。卒業後、顧問の先生の結婚式で会ったくらいだから、おそらく15年以上会っていない。約15年ぶりの再会。しかもボクはボートで、彼は水上バイクというほぼ似たような業界で雑誌作りに携わっていたなんて。

 高校時代の部活といえばきつい思いが先に立っていたが、今になってみればそれも楽しい思い出である。部活でともに同じ時間を過ごしたと言うのは話も合うし、趣味も合うしで、その後はサッカーの欧州チャンピオンズリーグネタなどで大盛り上がり。最近ではいっしょに仕事をする機会も多く、呑みに行く機会も多く……そういった意味でも素晴らしい再会であった。最近、フットサルチームを作る話も彼との間で動き始めていて、それについてはまた別に書いている(あまり進んでないけど)。

 と、今回はウェイクボードにあまり関係ないのだけれど、ウェイクボードが介した人と人との繋がりであることには変わりない。ウェイクボードの楽しみのひとつには、絶対に人との出会いがあると思っている私にしてみれば立派にウェイクボードのネタなのである。
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2006/03/19

初滑りはバレンタイン(新・鹿島日記-3)

2003年2月14日

ボク「何でこんな日に取材なんだよ」
男性カメラマンO「日程決めたのはおまえだろ!」
ボク「よりによって何だってバレンタインデーに君といっしょに一日過ごさなきゃならんの?」
男性カメラマンO「そのセリフそのままノシをつけて返してやるよ」

 この日、2003年2月14日は、世の中はバレンタインデーで浮かれていた(と思う)。早朝、わが家の前に一台のテラノが止まった。そのクルマはボクと同い年のカメラマンの乗用車だ。これからボクを乗せ市川にあるマリーナへと向かう。のっけからそのクルマの中は険悪な雰囲気であった。が、互いに一応は妻帯者である。そこはバレンタインに浮かれる立場でもあるまい、とすぐに仕事モードになったが……。

 京葉道路・市川ICで高速を降り旧江戸川にあるマリーナに向かった。このマリーナでアメリカのトウイング専用ボート「タイガ」の取材があった。タイガというボートにはTAPSというウェイキの形状やサイズをコントロールするシステムがついている。ウェイトを積まなくてもウェイキを大きくできるので結構日本では人気がある。ボート自体の話や取材の話はこのブログでのテーマではない。ボクはこの日も編集スタッフとして同行しただけ、原稿はSOTAROさんが書き、ライダー兼モデルにはよっちゃんことYOSHIKOプロを招いた。前回も書いたけれど、浜名湖ではものすごく後悔した。で、今回は何が何でも滑ってやると思っていた訳である。ちなみにボクが鹿島以外で滑るのはこの時が初めてである。

 とにかく寒い。しかも江戸川水系の水はかなり水が冷たい。足をちょっと入れただけでしびれたような痛みが走る。ドライスーツがあればいいんだけど……ウェットスーツを借りて2003年初めてのウェイクに挑戦である。ボードはSOTAROさんのモノをお借りした。ハラに食い込むきついウェットとライフジャケットのせいでボードを履くだけで一苦労。ふー。でもおかげで良いウォーミングアップになる?

 取り敢えず板と足を水面に。ドライバーの古川裕一プロ(彼も確かボクと同い年、だけど20年近いウェイク歴のお方)に「はいりま〜〜す」と声を掛け、ドボン。「ウ、、ギャ〜〜……」最後は声にならない叫びを挙げる。半端な冷たさではない。ふつう外気よりも水中の方が温かいものだが、明らかに水の方が冷たい。まるで氷水の風呂に入っているかのよう。恐るべし江戸川……。は、早く引いてくれ〜〜。ボゥ〜〜ンというエンジン音とともにタイガが加速した。ボクも無事スタートに成功し、水面に立ち上がった。しかし外気も充分寒かった。濡れた身体へと、突き刺すような風がぶつかってくる。トウサイドエッジを立てウェイキの右側へと出て行く。ある程度外にでたところでウェイキを眺める。ヨイナミタッテルネェ〜!。エッジを戻して一瞬フラットになりターン。そのまま一気にヒールサイドエッジにして急加速で波へと突っ込んでいく。何の余念も無く思いっきり加速。バシュッ、バタン。

 ワンウェイキエアでいきなりコケた。コケるとあの氷水の洗礼である。手足の先は何もカバーするものが無い状態。痺れるような痛みが走る。結局この後、2回フォール(コケる)して手足の感覚がなくなってしまい、ボートへと這い上がった。身体が痺れているので、ボートの後ろのプラットフォームで転がっていると男性カメラマンOが「江戸川のタマちゃんだ!」と口走りながらバシバシと写真を撮ってくれた(フィルム代もったいないから要らないってば!)。
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2006/03/02

ストレス(新・鹿島日記-2)

2003年1月中旬

 その日、東京を発ったのは午前5時前。クルマで浜名湖を目指した。2003年初めてウェイクボードに触れたのが、この日のことだ。最初に結論を言ってしまうが、あくまでも触れただけで、滑ってはいない。

 2003年のウェイクボード界で特筆されるのはSARDの「クリーバー」が登場したことだろう(厳密には2002年の暮れ)。SARDとは自動車関係・トヨタ関係では殊に知られた会社である。かつてUSトヨタが中心となって製造・販売していたトウイングボートに「エピック」シリーズがある。レクサスのエンジンがトウイングボートに乗ったってことで、アメリカで一世を風靡した。このエピックに積んでいたエンジンなどをベースにSARD社が独自に開発したトウイング専用ボートが「クリーバー」である。国産の本格的なトウイングボートが登場したのはこれが初めて。船外機タイプの専用艇はあったが船内機(※)仕様ではこのボートが国産初と言える存在だった。

 それで、この日は「クリーバー」の試乗兼撮影のために浜名湖に向かった。ボクは編集担当として付いていっただけで、執筆はSOTAROさん、ライダー&モデルにうめちゃん……ボクのふたりのお師匠さんに仕事をお願いしたのである。ボクは文字通り付いていっただけだから人間バラストタンク以上の意味はなかった(笑)。が、人様が滑っているのを指をくわえて見ているだけなのはつらい。もちろんウェイクボードを見ていること自体は楽しいし好きなのだけれど……。事前にSOTAROさんからは再三「滑りませんか?」と誘われていただけに、水着だけでも持っていけば良かったと後悔しきりである。

 一日の取材を終えたころにはストレスは限界である。思ったほど浜名湖が寒くなかったこともその原因のひとつだ。次の取材では何が何でも滑ってやるぞ!とハゲシク心に誓うのであった。

※船外機・船内機:どちらもボートのエンジン形式。船外機(アウトボードエンジン)はボートの船尾に外付けするタイプのエンジン。エンジン本体・ドライブユニット(ロアーケース)・プロペラで構成される。船内機はボートのほぼ中央にエンジン本体があり、エンジンに繋がるシャフトの先にプロペラが付き、その後ろにラダー(舵)がくる。
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